わっぱ40周年企画に行って来たよ^^
Jは1990年から2年半ほど「わっぱの会」の大曽根「ワークショップすずらん」で障害者と一緒にパンを焼いていました。朝早い仕事で帰宅するのはまだ日の高いうちでした。
わっぱの会は健常者が障害者に仕事を教えたり、管理するところではありません。健常者も障害者も仕事も賃金も対等です。
今でこそ、障害者が街に出るのは当たり前ですが、1990年頃はとても少なかったのです。わっぱの人たちは障害を持っていてもパン(わっぱん)をバスや地下鉄、公共交通機関に乗って運んで、お得意さんに届けたり、イベントで売ったり、駅前で売ったりしていました。とにかく詳しいことはわっぱの会のホームページをごらん下さい。で、今日もくもく印刷のHYさん(あがた森魚ファン)に誘われ行った「わっぱ40周年企画・とことんわっぱれ40」はこちらです。明日は用事がありJは行けませんが、、、20代のJは社会とうまくつきあえませんでした。バブルでいくらでも働き口はあるのに、アルバイトをしてお金がたまると、国内や強かったジャパンマネーを持ち、アジアを放浪する根無し草でした。曲がりなりにも仕事することを自覚できたのは、わっぱの会のおかげです。パン工房の中は、奇声や怒声が飛び交い、綺麗ごとでは語れないことがたくさんありました。
そんな中で知能的には少ないはずの障害者が丁寧に仕事をしたり、雨の日も風の日もパンを売り歩いたり、、、障害者運動をするんだ、と意気込んで働きに来た健常者がノイローゼになって辞めていったこともありました。もちろんほぼ何もできない障害者もいます。でも彼ら彼女らもわっぱの会の仕事場に来ている、という仕事をして健常者の意識を変えるのです。Jは彼ら彼女らから働くことを教わりました。尊敬すべき、愛すべき友人です。今日はかつてわっぱの会で働いたメンバーとして、招待されました。懐かしい顔、顔、顔、顔、顔、顔、、、に会いました。一番最初にJがわっぱで働き始めた日に、パンを売り歩きに誘ってくれた障害を持ったMKさんは今は寝たきり状態ですが、それでもベッドで運ばれ、声にならない声で、みんなに「ありがとう」と言っていました。
全く20年前と変わらない友人も多かったです。写真左)会場で売っている無添加、国産小麦のわっぱん。写真中)わっぱ40周年記念おめでとう!の鏡割り。写真右)会場で見かけ若いお母さんと赤ちゃん。太っているのは「ワークショップすずらん」で一緒に働いていたMJさん、後ろにいるのはIHさん、二人ともこの日はステージで素晴らしいダンスを見せてくれました。まだまだ書きたいことはたくさんありますが、この辺でいいじゃない、人間だもの。 みつを。